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西岡 剛(にしおか つよし、1964年1月16日 - )は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 近大附属高、近畿大学時代から長身からの速球を武器にした好投手として知られていた。近大附高時代は1982年夏の大阪府予選決勝進出を果たし、前評判では有利と思われていたが、春日丘高校に1対9で大敗した。近大では3年からエースとなり、春のリーグ戦で優勝を果たしたものの、全日本大学野球選手権関西地区代表決定戦で大阪大学に敗退、続く第二代表決定戦でも龍谷大学に敗れて、代表の座をつかめなかった。秋はリーグ戦・明治神宮野球大会関西地区代表決定戦で優勝を果たしたが、圧倒的大本命と見られていた4年時は、春・秋ともに古田敦也などを擁した立命館大学に覇権を奪われるなど、アマチュア時代は悲運の投手であった。関西学生リーグ通算36試合17勝7敗、防御率1.64、208三振を記録し、西の奪三振王と評価されていた。長身からの速球とフォークボールが武器。 1986年のドラフト1位で入団し、期待されたものの未勝利のまま引退した。後楽園球場での最後のナイターの試合(1987年10月17日の巨人-ヤクルト戦)で先発として登板し、8回まで二塁すら踏ませず0点に抑えていたものの、味方も無得点で9回2アウトから原辰徳にサヨナラヒットを打たれて敗戦投手になった。 1991年は1A・サリナス・スパーズに野球留学した。1992年オフに森浩二との交換トレードでオリックス・ブルーウェーブに移籍したが、一軍で出場することは出来ずに、1994年現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西岡剛 (投手)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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